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東京高等裁判所 昭和53年(ラ)493号 決定 1979年4月24日

抗告人

劔持茂里

相手方

劔持金義

主文

原審判を取り消す。

亡劔持庄太郎が有した東京都荒川区東日暮里五丁目四一番一四号関妙山善性寺境内東側墓地内所在の墳墓の権利の承継者を抗告人と定める。

理由

抗告人は、「原審判を取り消す。」との裁判を求め、その理由とするところは、本件墳墓の権利は家督相続とは別個に、亡劔持庄太郎の経営していた家業の酒屋「伊勢庄」を引き継いだ者に承継させるということが庄太郎の生前に決まつていたところ、同人の死後その妻里うと共に四男の得太郎が、同人の死後は庄太郎の六男の抗告人が順次右「伊勢庄」を引き継いだこと、本件墳墓には昭和一四年に死亡した得太郎と里うが埋葬されているが、そのことにつき当時相手方やその父義太郎から何らの異議はなかつたこと及び墓石台帳上抗告人も本件墳墓の使用者として記載されていること等を考慮すれば、本件墳墓の権利の承継者を相手方と定めた原審判は不当であるというのである。

そこで、一件記録を検討するのに、庄太郎の死後その二男義太郎が家督相続し、同人の死後はその長男の相手方が家督相続したこと、本件墳墓には義太郎、その妻喜代、相手方の二女よし江も埋葬され、墓石に各戒名が刻まれていること、本件墳墓は善性寺境内に所在するが、同寺保管の墓石台帳上相手方も本件墳墓の使用者として記載されていること、義太郎は父庄太郎の法要を営んだことがあること、義太郎や相手方は善性寺に従前から寄附等をしたことがあるほか、墓地清掃費を負担する目的で昭和四〇年頃発足した善性寺護持会に当初より加入していることが認められるので、相手方も本件墳墓につき係わりをもつていたことは否めないものの、本件記録によれば、庄太郎は酒屋「伊勢庄」を創業し、これを経営していたが、家督相続人たるべき義太郎が右「伊勢庄」の廃業を唱え父庄太郎に反発し、また母里うとも不和であつたので、庄太郎は生前、妻里う、二男義太郎、三男瀧蔵、四男得太郎らに対し家業の「伊勢庄」を継承するものに庄太郎が建立した本件墳墓を託す旨申渡したこと、「伊勢庄」は、庄太郎の死後得太郎と里うが、得太郎の死後は同人の指定家督相続人であつた抗告人が順次これを引き継いだこと、本件墳墓の墓石面には「伊勢庄」との文字が大きく刻まれているが「劔持」の文字は刻まれておらず、従前より「伊勢庄」の墓と呼称されてきたこと、本件墳墓に、庄太郎(明治四〇年一月二九日死亡)を埋葬する際の届出人は家督相続人たる義太郎ではなく、「伊勢庄」を引き継いだ得太郎であり、得太郎(昭和一四年三月一二日死亡)及び里う(昭和一四年一〇月一七日死亡)埋葬の際の届出人は抗告人であるところ、右各埋葬につき当時義太郎や相手方らから何ら異議はなかつたこと、墓石台帳上抗告人も本件墳墓の使用者となつていること、庄太郎らの位牌や仏像等劔持家の祭具は抗告人がすべて承継所持していること、庄太郎の法要は妻里うも行ない、里うの葬式、法要は抗告人が行なつていたこと、善性寺への寄附等は里うや抗告人もしており、また抗告人も前記護持会に当初より入会していること等が認められ、かかる事実を総合すれば、抗告人主張のごとく、家業の「伊勢庄」を引き継ぐ者に対し本件墳墓を家督相続とは別個に承継させるということが庄太郎の生前に決められていたと推認するに十分である。なお、旧民法九八七条には「系譜、祭具及ヒ墳墓ノ所有権ハ家督相続ノ特権ニ属ス」との規定があるが、右規定のもとでも、墳墓等の生前処分は自由になし得るものと解すべきであるので、前記のとおり被相続人たる庄太郎が本件墳墓を生前に処分したとみうる本件においては、右規定の存在は前記認定の妨げとはならないというべきである。

されば、本件墳墓の権利の承継者は、「伊勢庄」を引き継いだ抗告人であるというべく、これと異なり、相手方をその承継者と定めた原審判は重要な事実を誤認したものといわざるを得ず、原審判の取消を求める本件抗告は理由がある。

よつて、家事審判規則一九条二項にしたがい、原審判を取り消して抗告人を本件墳墓の承継者と定めることとする。なお、相手方は本件審判の申立において自らを本件墳墓の承継者と定めることを求めているが、家庭裁判所がその判断により承継者を指定するという本件審判の性格上、右は単に審判申立人たる相手方の希望にすぎず、家庭裁判所(家事審判規則一九条二項による場合は高等裁判所)は、審判申立人の希望する者の承継者としての当否を判断するのみでなく、他の者を承継者と定めることができることはいうまでもない。

よつて、主文のとおり決定する。

(柳沢千昭 浅香恒久 中田昭孝)

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